大阪地方裁判所 平成7年(ワ)6843号 判決 1997年10月13日
原告
昭陽汽船株式会社
右代表者代表取締役
奥野武久
右訴訟代理人弁護士
佐藤恭也
同
佐藤隆昭
同(復代理人)
佐藤和司
被告
アクチノル・エスシーシー・エイ・エス
ACTINOR
SCC AS
右代表者取締役会議長
アルフ・オルセン
Alf Olsen
被告
ウニタス・イエンスデイ・アスーランセフォルエニン
UNITAS
GJENSIDIG ASSURANSEFORENING
右代表者取締役会議長
ヘルロフ・ソレンセン
Herlof
Sorensen
被告両名訴訟代理人弁護士
相澤貞止
同
岡部博記
同
戸塚健彦
主文
一 被告らは、原告に対し、各自金三九四五万八二〇〇円及び内金三五八五万八二〇〇円に対する平成四年一一月六日から、内金三六〇万円に対する平成九年五月二八日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の、その余を被告らの負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは、原告に対し連帯して金一億九八八一万〇六八二円及びこれに対する平成二年八月六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、大阪港内において原告が所有する曳船「金陽丸」と、被告アクチノル・エスシーシー・エイ・エス(以下「被告アクチノル社」という。)が所有する機船「ノザク・エクスプローラー号(NOSAC EXPLORER)」(以下「ノザク号」という。)とが接触し、金陽丸が沈没した事故につき、原告が、被告アクチノル社に対し曳船約款に基づき損害賠償を請求するとともに、被告ウニタス・イエンスデイ・アスーランセフォルエニン(以下「被告ウニタス社」という。)に対し、被告アクチノル社の損害賠償債務に関する連帯保証契約に基づき同額の支払を求めている事案である。
一 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定する揚合にはかっこ内に証拠を示す。)
1 当事者
原告は、曳船「金陽丸」(船質鋼、総トン数290.29トン、航行区域沿海区域、船籍港大阪市、用途曳き船、港内本船(外航船舶)操縦援助作業、推進器二基)等を所有し、本船(外航船舶)の曳船等を業とする会社であり、被告アクチノル社は、ノザク号(船質鋼、総トン数二万一七七六トン、旗国ノルウェー国、船籍港オスロー市)を所有し、海運を業とする会社であり、被告ウニタス社は、海上保険等を業とする相互会社で、ノザク号の保険者である。
2 曳船作業契約(以下「本件曳船契約」という。)の締結
平成二年八月五日、ノザク号(以下「本船」或いは「被曳船」ともいう。)の出航に際し、同船の港内水先案内人今村卓夫から、大阪市港湾局を通じて原告に対し、曳船の出動の依頼がなされ、原告はこれに応じて金陽丸を出動させた。
3 事故(以下「本件事故」という。)の発生
金陽丸は、ノザク号の大阪港南港L―4岸壁から出航する際の操船船首部援助作業に従事中、同日午前七時五分ころ、本船の水面下球状船首が金陽丸の左舷側に接触し、金陽丸は浸水により沈没し、後に救助、修繕された。
4 本船操船援助作業従事証明書の交付
被告アクチノル社従業員である本船船長アルフ・ヨナッセン(ALF JONASSEN)は、平成二年八月一〇日、曳船金陽丸の本船操船援助作業従事証明書(以下「曳船作業証明書」という。)に所要事項を記入し、サインをした上、原告に交付したものであるが、右証明書には以下の文言(英文曳船約款の抜粋、以下「本件条項」という。原文は英文である。)が記載されている(乙一、弁論の全趣旨)。
「曳船作業中、曳船船長及び乗組員は、本船船主の被用者であるとみなされ、本船船長の指示に従う。この関係で、本船上のある者から曳船の船長及び乗組員に与えられた指示は、本船船長の指示ということになる。したがって、
a) 曳船船主及び乗組員は、曳船作業中に生じた本船の損失、損害又は本船に乗船する人もしくは物の損害に対して責任を負わない。
b) 本船の船主及び船長は、曳船作業中に生じた曳船の損失、損害または曳船に乗船する人の損害について責任を負う。
c) 本船の船主及び船長は、曳船船主が第三者に対して与えた損害に対して責任を負う場合、その損害を補償する。
ただし、右記のような損失、損害もしくは人の損害が曳船船主が曳船作業中あるいは他の作業中に、曳船を航海に堪える状態にしておくことに相当な注意を払わなかったことにより生じた場合は、その限りではない。右の相当な注意を尽くさなかったことの証明責任は本船船主にある。」
5 保証状の作成、交付
被告ウニタス社は、オール・スカンジナビアン・アンダーライターズ・ファーイースト・エーゼンシー代表取締役を代理人として、ノザク号船主が曳船沈没事故に関し、日本の管轄を有する裁判所において損害賠償義務を認められた場合には、認容された金額を利息費用込み総額一億九六六一万八〇〇〇円を限度に、ノザク号船主と連帯して支払うことを内容とする平成二年八月二三日付保証状を作成し、原告に対し交付した。
二 争点
1 本件条項に基づく被告アクチノル社の責任の内容
(原告の主張)
曳船作業証明書に記載された本件条項は、欧米主要各港における港湾タグ利用約款の条項と同旨であって、被曳船船主は、曳船作業中に生じた曳船の損害については全額の無過失補償責任を負うことを規定しているのであり、被告アクチノル社は、本件事故により原告に生じた損害につき当然に全額賠償しなければならず、過失相殺をすることも許されない。
(被告らの主張)
英文曳船約款は、被曳船船主がいかなる場合にも曳船に生じた損害をてん補するという補償の趣旨まで含むものと解することはできず、かりに右約款の規定が無過失責任の趣旨の規定であるとしても、右責任は、曳船の船長及び乗組員が被曳船船長の指示に従って曳船作業を行った場合に生じるものであり、かつ、右約款は曳船が曳船作業中に航海に堪える状態になくそのことにつき曳船船主が相当な注意を欠いていたことにより生じた損害には責任が及ばないことを明示しており、曳船の損害がもっぱら曳船側の過失から生じたような場合には被曳船は責任を負わないし、曳船側の過失の度合いに応じて過失相殺をすることも許される。
2 本船と金陽丸との接触事故(以下「本件接触事故」という。)の原因
(原告の主張)
本件接触事故は、本船船長が、金陽丸との事故の発生を未然に防止するため曳索(タグライン)を確実に放ち安全を確認の上、本船を増速させるべきであるのに、曳索を放ち終わったことを確認しないまま、機関を前進に令し、本船をみだりに増速させたことによって曳船の操船の自由を奪ったことにより発生したものである。
(被告らの主張)
本件接触事故は、金陽丸の船長が本船船長の指示に従わず、曳索を緩めないまま後進して本船船首前方に進出したことによって発生したものである。
3 本件接触事故と金陽丸の沈没との因果関係
(原告の主張)
金陽丸の沈没は、同船の船尾部がノザク号の船首部に衝突され、衝突箇所の破孔から機関室内にも浸水し、電源が切れ、排水不能の状況に陥り、沈没したものであって、本件接触事故と金陽丸の沈没との因果関係は明らかである。
(被告らの主張)
金陽丸の船尾隔壁(機関室の後部隔壁)には、ボルト締め型式の水密扉一個が備わっていたが、本件接触事故当時、同水密扉は取り外されたままになっていた。衝突によってできた破孔からの浸水は、後部隔壁が水密性を有していれば、プロペラ室だけでくい止められ、金陽丸は沈没を免れていた。金陽丸船長が船員法上の義務に反し、後部隔壁の水密扉が開放したまま曳船作業に従事するという過失行為があったため、破孔からの浸水は機関室に及び沈没に至ったものである。したがって、本件接触事故と金陽丸の沈没との間には相当因果関係はないとすべきである。
4 免責、過失相殺
(被告らの主張)
(一) 本件事故当時、金陽丸は水密扉が開いていて航海に堪える状態になく、また航海に堪える状態にしておくことにつき曳船船主が十分な注意を尽くしていたとはいえないので、被告らは責任を免れる。そうでなくとも本件事故発生については、金陽丸の船長、乗組員にも、本船船長の指示に従わず、曳索を緩めないまま後進して本船船首前方に進出した過失、また、水密扉を閉めておく必要性を認識していたにもかかわらず、合理的な理由もなく、曳船作業中これを開放したままにしておいた過失があり、相応の過失相殺がなされるべきである。
5 損害額(原告の主張)
(一) 金陽丸救助費
二四二〇万五〇〇〇円
(二) 同船修繕費
一億一一八五万八〇〇〇円
(三) 成陽丸修繕費
一五四万五〇〇〇円
(四) 流出油清掃費
一八六三万九七六五円
(五) 油止費用
八二万四〇〇〇円
(六) 船員私物損害
一三二万五〇〇〇円
(七) 損害調査費用
九八万一六四四円
(八) 不稼働損害
二一三五万八五七五円
本件事故により原告が曳船金陽丸を使用収益し得なかった期間は七一日であり、同船の過去三か月間の収益は三三六九万〇二五二円、その間の控除すべき直接経費は六六一万六〇〇〇円、よって経費を差し引いた収益は二七〇七万四二五二円であるので、一日当たり収益は三〇万〇八二五円となり、これに休業日数七一日を乗じ、不稼働損害の額は二一三五万八五七五円となる。
(九) 弁護士費用
一八〇七万三六九八円
(一〇) 損害合計
一億九八八一万〇六八二円
6 被告らの債務の履行期
(原告の主張)
本件条項に基づく被告アクチノル社の損害賠償債務及び保証契約に基づく被告ウニタス社の連帯保証債務の履行期は、いずれも平成二年八月五日である。
(被告らの主張)
被告アクチノル社が本件条項に基づき負担する損害賠償債務は、期限の定めなき債務である。被告アクチノル社は、平成四年一一月五日ころ、原告から損害賠償の請求を受けた。従って、被告らの債務は平成四年一一月六日に遅滞に陥ったというべきである。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(本件条項に基づく被告アクチノル社の責任の内容)について
1 前記争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(第二の一)、証拠(甲七〇1ないし5、七二1ないし5、七五、乙四二1、2、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告と被告アクチノル社との間の曳船作業契約に基づき、金陽丸が行う曳船作業の内容は、金陽丸がそのタグラインをノザク号との間に渡したうえノザク号側から出される指示に従って曳船作業を行い、ノザク号が安全に出港する援助をするというもので、金陽丸の船長乗組員はノザク号の船長及び水先案内人の指揮命令系統下にあった。
(二) ノザク号船長は曳船作業証明書にサインの上、原告に交付したが、そこには本件条項が記載されており、原告と被告アクチノル社との間で本件条項の内容に従った合意がなされた。
(三) 本件条項のうち曳船に生じた損害に関する部分には、本船の賠償責任につき本船の過失が必要であるという文言は入っていない。また、本件条項末尾には、曳船の損害が曳船船主が曳船作業中あるいは他の作業中に、曳船を航海に堪える状態にしておくことに相当な注意を払わなかったことにより生じたことを本船船主側が立証した場合は、本船の船主は責任を負わない旨の規定がある。
(四) 本件条項の含まれる英文曳船約款が制定された経緯は、わが国港湾への入港数が急増してきた外国籍船舶等に対する曳船作業による海難事故時における経営的保障を確保するために、社団法人日本港湾タグ事業協会(以下「タグ事業協会」という。)が原案を作成の上、社団法人日本船主協会の協力を得て、欧米の主要港湾の曳船約款の調査検討に基づき、昭和四四年に制定されたものである。
(五) タグ事業協会が、本件条項を作成するに際し、参考にしたと思われる英国の「曳航その他の業務のための連合王国標準約款(U.K.STAN-DARD CONDITIONS FOR TOWAGE AND OTHER SER-VICES)(以下「英国標準約款」という。)の書式においては、被曳船の船長及び乗組員を曳船船主の被用者とみなす旨の規定に加え、曳船の被った損害はすべて被曳船の船主が補償する旨の明示の規定がある。しかしながら、右我が国の英文曳船約款における本件条項においては、文言上「補償」を示す「indemnify」の文言はなく、代わりに「shall be liable(責任を負うものとする)」という文言になっている(本件条項のうち第三者に生じさせた損害に関するC項においては「indemnify」の文言が使用されており、本件条項の中でも両者は使い分けられている。)。
2 以上の認定事実を総合すると、本件条項は、曳船作業中の曳船に損害が発生した場合、当該損害の発生原因が曳船船主において曳船を航海に堪える状態にしておくことに相当な注意を払わなかったなどもっぱら曳船側にあることを被曳船側が立証しない限り被曳船船主は賠償責任を免れることができないとしつつ、曳船側の過失の程度に応じて相応の過失相殺をすることは許容する趣旨の条項と解すべきものと認められる。したがって本件条項に基づく被告アクチノル社の責任は被曳船側の過失を前提としない責任ではあるが、原告の主張するような補償責任ではない。
弁護士忽那隆治は、本件条項の解釈について述べた意見書において、本件条項は本質的に損害補償約款であって、曳船の不堪航を原因とする場合を除き、曳航作業中に曳船に生じた人的物的損害については、常に被曳船側に補償責任があるとする趣旨であり、本件条項は、被曳船側の過失を要件としないのみならず、曳船側の過失も考慮することなく、更に進んで、曳船側の過失によって生じたことを相手方(被曳船側)に転嫁する効果を有するものであると意見を述べ(甲七二1)、タグ事業協会も被告ら代理人からの照会に対する回答書において同様の見解を述べている(甲七〇1)が、少なくとも文言上、英国標準約款と我が国の英文曳船約款においては右に述べたとおり看過できない相違があること、補償責任と解する合理的な理由も見いだし難いといった事情からすれば、右意見書及び回答書の各内容は、にわかに採用しがたい。
二 争点2(本件接触事故の原因)について
1 前記争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(第二の一)、証拠(甲一ないし四、六、一〇、一二、一七2、3、六四1ないし3、六六、六七、七三、七四、七六、七九、乙五、一六1ないし6、一七1ないし3、一九ないし三〇[枝番含む]、三七、三八、三九1ないし3、証人山本哲治及び弁論の全趣旨、なお、甲一〇、七六、証人山本哲治については後記措信しない部分を除く)によれば、以下の事実が認められる。
(一) ノザク号は、一九八五年(昭和六〇年)に建造され、総トン数二万一七七六トン、最大出力一万九二五〇馬力、船首部にバウ・スラスター(船首部横推進器)一基を備える自動車運搬船で、同船の船首は、水面上一〇数メートルのところに位置している。
(二) 金陽丸は、昭和四九年九月に建造され、航行区域は沿海区域、総トン数290.29トン、全長33.4メートル、幅9.5メートル、深さ4.29メートル、最大出力2353.6馬力の大阪港を基地とする曳船であり、Zプロペラ二機を搭載し、船首部のウインドラス(大型ウインチ)に操船援助作業用の曳索(径九〇ミリメートル、重量一メートルあたり五キログラム)を備えている。
(三) 平成二年八月五日、ノザク号は、船長アルフ・ヨナッセン以下二一名の船員が乗り組み、大阪港南港L―4岸壁から同日韓国仁川港に向け出航することになり、午前(以下この頃において特に指定しないときは、時刻については全て午前である。)六時一五分ころに港内水先人今村卓夫(以下「水先人今村」という。)が乗船した。当時の大阪湾付近の天候は、晴れ、北東の風、風力三、気圧一〇〇四ヘクトパスカル、気温三〇度、海況二、海面は極めて静穏で見通しは良好であった。
(四) 水先人今村は、船長から、ノザク号のバウ・スラスターが作動しないとの説明を受け、当初あらかじめ手配していた一隻の曳船(阪陽丸)のみを操船援助に使う予定であったのであるが一隻では不十分であることから、もう一隻曳船を加えることを船長に勧め、船長の同意を得て、急遽大阪市港湾局を通じて曳船金陽丸を手配した。六時一七分ころに阪陽丸が本船左舷後方に曳索を取り、同四八分ころに金陽丸が本船前方に曳索を取り、同五〇分ころノザク号は二隻の曳船に援助されながら離岸した。なお、この離岸の際、曳船はいずれも本船の左舷側から自船を後退させる形で曳航していた。
(五) 水先人今村は、金陽丸と阪陽丸の双方に対し、トランシーバーを用いて、押し、引き等の命令を発したのであるが、ノザク号は大型自動車運搬船特有の形態のため、船橋から操船する場合、船首部の死角が極めて大きく、船橋にいた水先人今村からは、曳船が曳索を緩めた状態にある時は前方にいる曳船の動きを確認することは困難であったし、本船の船首楼(ここに備え付けられたボラードが曳索のつながれる場所である。)を直接見ることもできなかった。
(六) ノザク号が曳き出されて同船の後尾部分が南港中ふ頭の岸壁の隅をかわすころまでは、同船のエンジンは微速後進(slow astern)であった。そのころ、水先人今村は、船尾の曳船阪陽丸に対して引くことをやめるよう指示するとともに船首側にいる曳船金陽丸にはさらに引くように指示し、左回頭を開始した。間もなく本船のエンジンは停止・スタンバイとされたが、本船は後進の行き脚がついていたため、水先人今村は、後進を止めるため本船のエンジンを微速前進(slow ahead)とすることを命じた。微速前進とされた結果、本船の後進の動きがほぼ止まったので、水先人今村は本船のエンジンを極微前進(deadslow ahead)とすることを指示し、曳船にもその指示を伝えた。ここまでの作業については特にトラブルもなく順調に行われた。
(七) 七時〇三分ころ、水先人今村は両曳船に対し、曳索を引き離す準備である「タグラインレッコー用意」の指示を出した(なお「レッコー」とはレッツゴーの訛であり、外航船の甲板上に係止中の曳索の先端を放つとの意味である。)。この時、本船は大阪港南港外港に向かって極微前進の状態であり、これ以降本件接触事故の時点までの間はエンジンの状態に変化はなかった。右の水先人今村の指示を受けて、金陽丸は、前進し船首を本船に接近させるとともに本船がレッコーしやすいように曳索を緩め、水先人今村に対して「タグラインレッコー準備完了」の報告をした。そして水先人今村は、右報告を受けた後直ちに、本船乗組員に対して「タグラインレッコー」の指示を出した。なお、「タグラインレッコー準備完了」の報告があったときの金陽丸の位置、状態につき水先人今村は視認もしていないしトランシーバー等で確認もしなかった。
(八) 本船の三等航海士ローランド・ビー・アルータは、水先人今村の「タグラインレッコー」の指示を受けて、甲板長らの乗組員に曳索をレッコーするように命じ、右乗組員らは直ちにレッコーの作業に取りかかった。このレッコー作業は、曳索の先端に付いている直径一〇ミり程度のハンドリングロープをウインドラスまたは係船ウインチのワーピングエンドで巻いて緩みを作ってボラードから外すという作業である。金陽丸と阪陽丸とは、ほとんど同時に「タグラインレッコー」の指示を受けたが、金陽丸の曳索をレッコーする作業の間に既に阪陽丸についてはレッコー終了及び本船からの離脱が滞りなく行われていた。ところが、金陽丸については曳索のレッコー作業は未だ終了していなかった。
(九) 右レッコーの作業中、同作業が手間取っていたこともあって、金陽丸船長はこれを容易にしようとしたところ、自船を本船に近づけすぎてしまい、危険を感じて自船を戻そうとしたのであるが、今度は強く戻りすぎたため曳索に引っ張られ、その後の不適切な操船も影響して結局金陽丸は右回転しながら本船の前方に出て本船の進路を塞ぐ格好となった。金陽丸船長はあわてて自船を全速力で前進させたが避けることができず、七時〇五分ころノザク号船首部球状先端と金陽丸左舷船尾部が接触した。
2 以上認定事実を総合すると、本件接触事故は、金陽丸船長が曳索がレッコーされるのを待つ間に、自船につき不適切な操船をしたことが直接の原因となって生じたものと認められる。ただ、ノザク号側についても曳索をレッコーするのに手間取り通常以上に時間がかかったこと、水先人今村についても金陽丸の位置及び状態に十分気を配らなかったことが認められ、これらもそれぞれ本件接触事故の間接的原因になっていると認められる。
この点に関し、原告は本件接触事故の原因は、本船が曳索のレッコーを確認しないままみだりに増速して、曳船の操船を困難にさせた点にあると主張し、それに沿う証拠(甲一〇[山本哲治の陳述録取書]、七六[君島通夫作成の鑑定書]、証人山本哲治)もあるので、この点につき付言しておく。
まず第一に、原告が主張するようにノザク号が曳索をレッコーしないまま突然加速し、そのために金陽丸の操船が困難になったというのであれば、当然金陽丸はノザク号に引きずられる格好になるはずであって、いくら操船が困難になり、ノザク号の前進によって進行波随伴流などの波動の影響を受けることになったとしてもノザク号の前方に出ることになるとは考えにくい。しかし、実際は、証人山本哲治も認めるとおり金陽丸が本船に引きずられる格好になることはなかったのであるし、接触時には金陽丸は本船の前方にいたのであって、原告の主張はこのような客観的事情と符合しない。
さらに、証人山本哲治は、本船が突然スピードを上げたという点についてははっきりと供述する(甲一〇号証中にも同旨の記載がある。)ものの、衝突したときの金陽丸の角度とか同船が前進していたかどうかという点については、覚えていないなどと曖昧な供述に終始している。しかしながら、衝突したときの状況は同人にとり強く記憶に焼き付けられ、明確に供述しうるはずのことであるのに、かかる供述態度は不自然である。結局のところ証人山本哲治の供述及び甲一〇の記載のうち本船が突然スピードを上げたという部分は採用できないものといわざるを得ない。
また甲七六号証中にも、本船が速力を増しながら前進を開始したために金陽丸の操縦が困難になった旨の記載があるが、その根拠となる事実が明確に示されていない上、右に述べたとおり客観的事情とも符合しないのでにわかに採用しがたい。
以上より、原告の右主張は採用することができず、他に前記認定を左右するに足りる証拠もない。
三 争点3(本件接触事故と金陽丸の沈没との因果関係)について
1 前記争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(第二の一)、証拠(甲六ないし一二、六四1ないし3、六五1、2、六八1ないし3、六九1ないし4、七三、七六ないし七八、乙二ないし五、一四1、2、一五、一六1ないし6、一七1ないし3、三一ないし三三、三五ないし三八、三九1ないし3、証人三宅武、証人山本哲治、証人島暗俊幸、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 本件接触事故により、金陽丸の左舷船尾部には、破孔を伴う最大凹み約0.2メートル、最大長1.76メートル、最大縦約0.9メートルの凹損が生じ、この破孔から浸水が始まった。この破孔は船尾プロペラ室付近に生じたため、浸水はプロペラ室から始まった。
(二) 金陽丸のプロペラ室と機関室の間の後部隔壁には、ボルト締め型式の取り外し可能な水密扉一個が備えられていたが、本件接触当時、右水密扉は開放されたままになっていた。本件接触後、浸水に気づいた金陽丸乗組員が水密扉を閉鎖しようとした。しかし、浮流物が詰まってしまい完全に閉鎖することができず、水は機関室にも侵入し、電源が切れて電動ポンプが停止し排水が不能となった。金陽丸からの通報を受けて曳船成陽丸が排水につとめたが、排水量より浸水量が勝り、浸水により船体が傾き始め、午前八時過ぎころ大阪港第一区D―1において沈没するに至った。
(三) 水密扉は、航行中は閉鎖しておくことが法規によって船舶に義務づけられており(なお、本件接触事故当時、金陽丸は航行中であったと認めるのが相当である。)、金陽丸の水密扉も、曳船作業時は閉鎖することとされていたのであるが、本件事故当日は、ノザク号からの急な依頼で曳船作業現場に向かったため、毎日励行しているZプロペラの点検作業が終了していなかった。そこで、金陽丸の機関長三宅武は、曳船作業中に水密扉を開けて通路として使用し、Zプロペラの点検作業をしていた。
2 以上の認定事実からすれば、本件接触事故と金陽丸の沈没との間に相当因果関係が認められることは明らかである。なお被告らは水密扉が閉まっておれば沈没することはなかったとして水密扉の開放の点をとらえていわゆる因果関係の中断ないし責任の中断を問題とするが、以上認定したような事情のもとでは曳船の水密扉が開いていることを被曳船の船長及び水先人が予見することは可能であったと認めるのが相当であるから、水密扉が開放されていた事実は何ら相当因果関係の存在を否定するものではない。
四 争点4(免責、過失相殺)について
1 堪航能力欠如による免責について
(一) 前記争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(第二の一)のとおり、本件条項には、曳船船主が曳船作業中あるいは他の作業中に、曳船を航海に堪える状態にしておくことにつき相当な注意を払わなかったときは、被援助船船主はその旨を立証して、曳船に生じた人的、物的損害について責任を免れることができる旨の規定があり、本件においても、原告と被告アクチノル社との間で右条項に沿った内容の合意がされたと認められる。
(二) ところで、本件条項中の「曳船を航海に堪える状態にしておくこと」とはいかなる内容であるかについて検討するに、本条項が曳船契約に関する約款中に規定されていることに鑑みれば、港外へ出航し航行する船舶に要求される意味での堪航能力を意味するものではなく、曳船作業中、安全かつ円滑にその作業を遂行できるに必要な船舶の状態にしておくことを意味するものと解するのが当事者の合理的意思に合致するというべきである。
(三) 本件全証拠を総合しても、原告が本件において金陽丸を「航海に堪える状態にしておくこと」(右の意味で使用する)につき相当な注意を払わなかった事実を認めることはできない。したがって、被告らの免責の主張は採用することができない。
2 過失相殺について
前記認定(第三の一の2)のとおり、本件条項に基づく被告アクチノル社の責任は、過失相殺をすることも許されるものである。そこで、前記本件接触事故の原因にあらわれた金陽丸乗組員及びノザク号乗組員双方の落度(第三の二の2)の程度を比較し、さらに金陽丸の沈没には同船が水密扉を開放していたことが寄与していた事実も考慮すると、曳船側の過失の程度は大きいといわざるを得ず、本件事故によって原告が受けた損害から過失相殺として八割を控除するのが相当である。
五 争点5(損害額)について(円未満切捨て)
1 金陽丸救助費
二四二〇万五〇〇〇円
証拠(甲一三、一四、六九1、2、弁論の全趣旨)によれば、金陽丸は沈没後、深田サルベージ建設株式会社によって救助されたことが認められ、そのための費用として二四二〇万五〇〇〇円を要したことが認められる。したがって右金額をもって本件事故と相当因果関係のある救助費用と認める。
2 金陽丸修繕費
一億一一八五万八〇〇〇円
前記認定事実(第三の三の1の(一))、証拠(甲一五1、2、弁論の全趣旨)によれば、金陽丸には、本件事故により、左舷船尾部の破孔を伴う最大凹み約0.2、メートル、最大長1.76メートル、最大縦約0.9メートルの凹損等の損傷が生じたこと、金陽丸は株式会社サノヤス・ヒシノ明昌において右損傷を修繕されたこと、そのための費用として一億一一八五万八〇〇〇円を要したことがそれぞれ認められる。被告らは乙六号証の1及び2及び証人島﨑俊幸の証言に基づき、本件事故と相当因果関係を有する修繕費用は一〇〇〇万円程度であると主張するが、乙六号証は本件接触事故と沈没との間には相当因果関係がないという前提に立っており、その前提自体において採用できないものであるから、右主張は理由がない。以上より本件事故と相当因果関係を有する金陽丸修繕費は標記金額であると認める。
3 成陽丸修繕費
一五四万五〇〇〇円
前記認定事実(第三の三の1の(二))、証拠(甲一六、弁論の全趣旨)によれば、金陽丸は本件接触事故後、同僚の曳船「成陽丸」から排水の援助を受けたこと、本件事故による被害を最小限にくい止めるためには右援助は必要やむを得ない措置であったこと、右援助により成陽丸には船橋(右舷)周辺部等に損傷が生じたこと、右損傷を修繕するために一五四万五〇〇〇円を要したことがそれぞれ認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する成陽丸の修繕費は、右金額をもって相当と認める。
4 流出油清掃費
一八六三万九七六五円
証拠(甲一七ないし二二[枝番含む]、弁論の全趣旨)によれば、本件事故により金陽丸からはA重油と潤滑油合わせて約二九キロリットルが流出したこと、金陽丸の沈没した大阪港第一区D―1付近の海域は右流出油により汚染され清掃の必要があったこと、清掃作業のため要する費用として相当な額は左に記載するとおりであることがそれぞれ認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する流出油の清掃費は、標記金額をもって相当と認める。
(流出油清掃費の内訳)
① 深田サルベージ建設株式会社に対する中和剤使用料
八四万九七五〇円
② 株式会社ネオスに対する油処理剤「ネオスAB3000」代金
三八〇万〇七〇〇円
③ タイホー工業株式会社に対する油処理剤「メールクリーン505」代金及び輸送費用 五六万四四四〇円
④ 島田燈器工業株式会社に対する油処理剤「カクタスクリーンL-10A」「ネオスAB300」代金
四二万四八七五円
⑤ 原告姉妹船使用による船舶費及び人件費 一三〇〇万円
5 油止費用 八二万四〇〇〇円
証拠(甲一四、一七1ないし3、二三1、2、弁論の全趣旨)によれば、金陽丸は沈没後油が湧出したこと、右油の湧出を止める必要があったこと、深田サルベージ建設株式会社が油止め作業を行ったこと、この作業の費用として八二万四〇〇〇円を要したことがそれぞれ認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する油止費用は右金額をもって相当と認める。
6 船員所持品損害てん補費用
一三二万五〇〇〇円
証拠(甲二四ないし二八[枝番含む]、弁論の全趣旨)によれば、本件事故により金陽丸乗組員五名は、別紙金陽丸乗組員海没所持品一覧表1ないし5の品名欄記載の各自の所持品を海没により失ったこと、右五名は原告から同一覧表合計欄記載の金額のとおりの金員の支払を受けたことが認められる。右の原告の乗組員らに対する支払は本来原告の義務ではなく、かつ本件事故と相当因果関係を有するものであると認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する船員所持品の損害についてのてん補費用は、右金額をもって相当と認める。
7 損害調査費用 〇円
証拠(甲一七1ないし3、二九1ないし4、弁論の全趣旨)によれば、本件事故後、原告は漏油事故調査の名目で、マリン・アクシデント・アンド・ポリューション・サーベイング・サービス・リミテッドに調査を依頼し、調査費用として九八万一六四四円を同社に支払ったことが認められる。しかしながら、このような費用は、本件事故とは相当因果関係を有するものとは認められず、被告らに負担させるべき損害とはいえない。
8 不稼働損害
二〇八九万四二三五円
(一) 証拠(甲三一ないし六三[枝番含む]、七一、弁論の全趣旨)によれば、金陽丸(前の船名は「第三五金扇丸」)は本件事故前三か月間(平成二年五、六、七月の九二日間)に合計三三六九万〇二五二円の売上をあげ、その期間に同船にかかった燃料費は、六六一万六〇〇〇円であったことが認められる。したがって、右売上から直接経費たる燃料費を控除した二七〇七万四二五二円を九二日で除した二九万四二八五円が金陽丸の一日当たりの平均利益となる。
(二) 証拠(甲一五1、2、七一弁論の全趣旨)によれば、少なくとも原告主張のとおり七一日間については金陽丸は曳船作業を行うことができなかったことが認められる。そこで、右(一)で認定した一日当たりの平均利益二九万四二八五円に休業期間七一日を乗じた標記金額が本件事故と相当因果関係を有する金陽丸の不稼働による損害であると認める(なお、被告らも不稼働損害の算定に関し、売上高から直接経費である燃料費を控除し、これに不稼働日数を乗じて算定する点については争っていない。)。
9 小括(原告の損害のまとめ)
(一) 以上より、本件事故と相当因果関係を有する原告の損害の額は、一億七九二九万一〇〇〇円であると認められ、右金額から、前記認定(第三の四の2)の八割を控除すると、てん補されるべき原告の損害は、三五八五万八二〇〇円となる。
(二) 弁護士費用 三六〇万円
本件は、約款に基づき原告が損害賠償を請求している事案であるが、金銭債務の不履行を理由とする損害賠償請求の場合と異なり弁護士費用についても相当因果関係を有する限り損害賠償の対象となるものと解するのが相当である。原告が本件訴訟を遂行するにつき弁護士を依頼したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件訴訟の難易、認容額その他本件弁論にあらわれた一切の事情を考慮し、弁護士費用については右金額をもって相当と認める。
六 争点6(被告らの債務の履行期)について
(一) 証拠(甲七〇2ないし5、乙一)によれば、本件条項が含まれている英文曳船約款には、被曳船船主が負担すべき損害賠償債務の履行期がいつかということに関しては規定がなく、また、同約款中には約款に規定のない事項については日本国の法令及び慣習に従う旨の規定がある。そこで、被告らの債務の履行遅滞に陥る時期は、わが国の法令及び慣習に従って決められることになるが、被告らの債務が不法行為に基づくものではなく約款に基づくものである以上、わが国の私法の一般原則に従って、期限の定めがない債務として発生し、被告アクチノル社が原告からの履行の請求を受けた時に初めて遅滞に陥るものと解するべきである。
(二) そこで、いつ被告アクチノル社が原告から請求を受けたかを判断するに、証拠上、被告アクチノル社が原告から最初に本件事故に関し損害賠償金(ただし、弁護士費用分を除く。)の支払いを求められたのは、平成四年一一月五日であると認められる(乙四一、弁論の全趣旨)。したがって、被告らの債務は、弁護士費用分を除いて、同月六日に履行遅滞に陥ったと解され(なお、被告らもこの点につき同旨の見解を表明している。)、弁護士費用分については、その「訴変更申立書」が被告アクチノル社に送達された日の翌日である平成九年五月二八日(記録上明らか)に履行遅滞に陥ったと解される。
なお、原告、被告アクチノル社間の曳船契約は商行為であると認められる(弁論の全趣旨)ところ、右曳船契約に付随してなされた本件条項についての合意も同様の性格を有するものと解され、右合意に基づいて発生する債務も商法五一四条の「商行為ニ因リテ生ジタル債務」に当たるものであるから、本件条項に基づいて発生する被告アクチノル社の債務には、年六分の遅延損害金が発生する。
七 結論
以上より、原告の被告らに対する請求は、被告らに、各自金三九四五万八二〇〇円及びこの内弁護士費用分を除く金三五八五万八二〇〇円に対しては、平成四年一一月六日(請求の日の翌日)から、この内弁護士費用分の金三六〇万円に対しては、平成九年五月二八日(請求が「訴変更申立書」によってされた日の翌日)から各支払済みまで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
(裁判長裁判官松本信弘 裁判官山口浩司 裁判官大須賀寛之)
別紙<省略>